まだ「数学はつまらない」と思ってるの? ──『数学する身体』

 

数学する身体 (新潮文庫)

数学する身体 (新潮文庫)

 

こんな人におすすめ

  • 数学を教える立場にある人。学校の数学教師や塾講師など。
    ⇒そもそも何のために人は数学を学ばなければならないのか、何のために数学を教えなければならないのかを考えるきっかけとなる一冊。もし自分が中高生だったら、『数学する身体』を読んでいない教師には、絶対に教わりたくない。
  • 数学を学ぶ学生。
    ⇒数学とは、単なる「テストで点数を取るためのパズル」あるいは「研究・エンジニアリングのための道具」では無く、もっと深い学問だということが分かる。決して易しい内容では無いが、大学入試の評論程度の難易度だから、高校生以上なら読みこなせるはず。

感想

"数学が分からない子"が出てくるのは当然

『数学する身体』を読んで、まず思ったのは、数学が分からない子が出てくるのは至極当然だということだ。中学レベルの数学でさえ、そこに至るまでは、"0という概念の発明"や"マイナスという概念の発明"、デカルトによる座標の発明など、様々なパラダイムシフトがある。過去の数学者たちが一生をかけて生み出したこれらの概念を、ただの子供がたった1時間足らずの授業で理解できるはずなどない。ましてや、高校数学の微分積分は、ニュートンライプニッツという超弩級の天才による発明だから、理解できなくても全く不自然ではないことは、言うまでもない。

 むしろ、理解していると思っていた単純な"足し算"とかでさえ、私たちは本当は理解できていない。少年時代のエジソンが、二つの泥団子をくっつけると「1+1=1」になるのに、なぜ「1+1=2」となるのか、と教師に質問し、困らせたというエピソードは有名だ。このように、そもそも"足し算"でさえ、私たちのほとんどは根本的には理解していない。だから、"数学が出来ない子"を責めるなんてナンセンスだ。ソクラテスの「無知の知」のように、数学の分からなさ・難解さを理解した上で、無知を楽しみながら学び、教えることが必要だろう。

数学とは、哲学・アートだ

 ほとんどの学生にとって、数学とは"成績・受験のための判定基準"でしかない。あるいは、多くの研究者・エンジニアにとっては、数学は道具に過ぎない。"絵を描くこと"に例えると、学校教育で求められる数学のスキルとは、如何に時間内に素早くデッサンを仕上げるか、という美大の入試で要求されるテクニックに近い。

 一方、『数学する身体』で取り上げられている二人の天才数学者、アラン・チューリング岡潔にとって数学とは、ライフワーク、哲学、あるいは宗教とでも言うべきものだった。彼らの生き様を読み、私は画家のゴッホを思い浮かべた。ゴッホにとっては、絵を描くこと=人生だっただろう。絵を描くことで得られる名声や金銭は、興味の外にあっただろう。ゴッホは人生をかけて「ゴッホの一生」という一枚のアート作品を描き上げたと言っても良い。同様に、チューリング岡潔にとっての数学とは、自身を表現する、あるいは探求するための、哲学・アートだったのだ。

 もちろん、アートとしての数学を学校で教えろ、という主張には無理があるだろう。だが、テストで点数を取るテクニックに留まらない、数学というものの深みを垣間見せるような授業だったら、私は喜んで受講したい。

数学は面白い!

 最後に、単刀直入に言うと、『数学する身体』はめちゃくちゃ面白い。数学はつまらない、と思う人が大多数だろう。だが、本書を読むと気付く。"数学"がつまらないのではなく、"授業"がつまらないのだ。「数学がつまらない」というのは、教える側あるいは学ぶ側の無知に過ぎない。

参考記事(森田真生さんへのインタビュー)

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株式会社はてな代表取締役会長・近藤淳也さんのブックレビュー。筆者の森田真生さんとの関わりもある模様。的確かつ心温まるレビュー。

今まさに、キムチ鍋の記事でバズってる関内関外日記の黄金頭さんのレビュー。こういう、自分のペースと文体に巻き込んでいくレビューには憧れる。